ハイティンク&VPO 1995

豪華絢爛なブルックナー。ハイティンクはVPOの輝かしい響きを最大限活かす。
しかし、一楽章は、陰鬱で激しい慟哭の音楽だ。響きは交差する。
もはやどこに楽器が配置されているのかも聴き取れないほど、響きは絶妙にブレンドされている。
臓腑を抉り取るような厳しい表現に貫かれ、まことにシリアスである。
二楽章は、もっとも愉しい時間だ。テンポを遅くとって、巨匠風に展開していくが、
弦の刻みの隅々までが明瞭に聴き取れ、まるで宝石が降るかのような光の体験が得られる。
三楽章は少し浮ついている。この楽章は、いただけない。美しいが、腰の落ち着きはない。
音楽のペシミスティックな部分が表現されていない。
四楽章はまことに派手で、テンポも他のどのハイティンクの演奏より速い。
コーダはこれでもかというほど金管大活躍で、気持ちよく鑑賞を終えられる。
充実感はある。
ホルンとティンパニが全体を通してよかった。もはや人間が演奏しているとは思えない。


ハイティンク&RCO 2005

同時期のドレスデンと比べると、かなり地味である。響きも地味だが、表現も地味だ。
一楽章も、段々盛り上がるというよりは、どんどん内側に籠る。弦の地味さは、味がある、とも言えるが、単に不明瞭なだけではないか、
という気が起ってくるのも確かである。だが、響きの厚みという意味では、ドレスデンに勝る。
弦の混じり合いは素晴らしく絶妙だ。五つのパートが、交差するというより、含みあい、溶ける。結果、全体で一体感を演出している。
管も地味だ。ドレスデンのように、威勢良くはいかない。ここで音響的な快楽を望むことは諦める。
そして何より致命的なのは、軽々しいティンパニだ。これは非常に残念。
だが、どこをとっても、第一級の演奏であることは確かであり、

ハイティンク&ドレスデン国立 2002

理想のブルックナー像と言ってよい。完全に巨匠風の演奏。
底の見えない深い響きに酔う。大木、大岩のように揺るがず、そこに当たる光源の微妙な移ろいを疎かにしない。
本当に人間が演奏しているのか。というのも、RCOとのライブでは、楽器が奏でられる定めゆえの奏法上の制約が、
曲の魅力を損なっていたのが、ここでは楽器が全く自由奔放に表情を変えてゆく。それも徐々に変わっていくので、
あまりに自然で、巨大な自然であり、吸い込まれる。金管は本当に高らかに鳴り、その威風堂々さは神の栄光を音化したかの如くだ。
フィナーレのファンファーレのなんと輝かしいことか。ホルンは深い森に住まう古い精のように、雅やかな趣を絶やさない。
弦合奏は大海の渦か、大空の雲の芸術か、混じりあい、離れ合い、その微妙な距離感が確かに胸を突く。
お寄せいただいたコメント
暗ヲ   2010/01/03(Sun) 02:01
同一指揮者による聴き比べとは興味深いですねえ。
実はハイティンクは今までほとんど聴いていない指揮者でして、今後の参考にさせていただきます(笑
ブルックナーの8番というと、20年とちょっと前でしょうか、まだレコードの時代でしたが、初めてブルックナーなる交響曲作家の作品を聴いてみようと思い立ち、カラヤン盤買ってきました。
で、よくわからないw
それで朝比奈さん、クナ、マタチッチN響(このへんはもちろん宇野氏の影響ですw)のレコードを聴きましたがやはりわからない。
それからシューリヒトを聴いたのですが、テンポが早めだったからかどうか・・・初めてちょっと面白く感じました。
でも、まあ今でも8番は苦手な方で、4、7、9番を聴くことが多いです。
(話もとに戻して、とw)
上の記事拝見しますと、そんなに長いスパンでもないのにそれぞれかなり違うのですね。
細部まで聴き込んでの詳細な聴き比べで感服いたしました。
kyrie  2010/01/03(Sun) 22:34
>暗ヲさま

ご訪問ありがとうございます^^
ハイティンクは、今最も円熟した巨匠だと思ってます。
特にブルックナーに関しては、最高峰です。
ブルックナーの8番は、僕も苦手でした。ことアダージョでね。
でもハイティンクやクレンペラーで
やっと良さが分かってきたというか…
シューリヒトやクナはお薦めする人が多いですが、僕にはわかりません。
ハイティンクは、オケによって、本当に同一人物なのか疑わしいくらい変わります。
その意味でオケの違いを楽しめる指揮者でもあります。
次はクレンペラーのマラ9の聴き比べをしたいと考えてます。
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