ある音楽が対象xの表現状態にあるとき、当然、各構成音は表現の分析音である。
例えば、音楽がある和音を表現しているのならば、構成音の各各が当の和音の分析である。
音が、メルロ=ポンティの表現を借りて、即自状態にあるとき、その音はその音にとって
全体であり、分析の飽和であり、分析の極限であり、もっと正確にいえば、
分析可能性と当の音の即自性との中間にある深淵、そのものの状態にあるのである。

ある持続音の、何を表現しているかの多義性(所属する和音を表現している、もしくは同時的に
所属している旋律を表現している、など)
における被表現の度合、つまり持続音の表現している所属性の度合を、一義に決定できる。
これが、指揮者や奏者による楽曲解釈の深さとか浅さとか呼ばれるものである。

即興とは、作曲点において、ある現在音が未来に渡るある表現の分析であるとき、
その音を限りなく現在に収束させていくと得られる音楽的概念である。続く。

_________________________________________

哲学の才能でいえば、今のところ2ちゃん哲学板で僕を論駁できるやつはいないほどだが、
音楽となるとそうもいかない。俺より凄いやつは沢山いる。
でも音楽を理論的に考えることに長ける私は、いつかあらゆる音楽を一義に定義し、
それらを俯瞰し、極みの音楽を作ることができるようになる…そんな希望を得た。
全ては夜道、いつもの愉しい思考の悦楽において、脳髄を駆け巡った論理の粒子のいたずらのままに。

kyrieの哲学講義♪二講義目
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1252054859/
お寄せいただいたコメント
無限∞虚無  2010/01/02(Sat) 20:55
面白い論考だが,僭越ながら多少のツッコミをば,

>ある音楽が~
>例えば、~
ここは前提としていいでしょう.

>音が、メルロ=ポンティの表現を借りて、即自状態にあるとき、~
メルロ=ポンティの表現を借りるだけなら容易いけれど,
それがこの論考とどう関係があるのかを明確にしないと,

>その音はその音にとって全体であり、分析の飽和であり、分析の極限であり、
>分析可能性と当の音の即自性との中間にある深淵、
>そのものの状態にあるのである。
がただのレトリックになってしまう...

あるいは,意味を通すだけなら,
>音が、その音はその音にとって全体であり、そのものの状態にあるのである。
だけで十分かもしれない.内容としてはともかく...

>ある持続音の、何を表現しているかの多義性(所属する和音を表現している、もしくは同時的に所属している旋律を表現している、など)における被表現の度合、
>持続音の表現している所属性の度合を、一義に決定できる。

ここの部分の論拠がないと,次の文
>これが、指揮者や奏者による楽曲解釈の深さとか浅さとか呼ばれるものである。
が唐突すぎる上,主語が欠けているのはまずいかと^^;

内容については,
表現されるものの聞き手と演じ手の主観性や嗜好などを排除して,
持続音はまったく量的に決定される,というのが君の主張だね??


>即興とは、作曲点において、~

>ある現在音が未来に渡るある表現の分析であるとき、
>その音を限りなく現在に収束させていくと得られる音楽的概念である。

これは最初の文が踏まえられているように見える,が,
現在に収束させていくのは,
「その音(=ある現在音)」が「未来に渡るある表現の分析」ってことなので,
「未来に渡るある表現」なのではないのかい??

あるいは,「現在音」は「未来に渡るある表現の分析」だから,
「現在音」の「未来に渡る」という性質を排除するということならば,
この文章は理解できるか.まだ検討は必要そうであるが...

演奏点における即興の概念も楽しみにしてるよ^^


分析の方法は分哲やポモをすでに超えてしまっていそうだね.
更なる進化を期待!?
kyrie  2010/01/02(Sat) 23:01
>フェイト

真面目に読んでくれてありがとう、やっぱ俺、君みたいな友達が必要だ。
友達であり、ライバルであり、同士であり、バンド仲間だ。
一緒に高みを目指そうぜ!
さて肝心の内容だが、kyrieさん疲れちゃったので明日レスする汗
william water  2010/01/03(Sun) 18:59
「あらゆる音楽を一義に定義」ってのは納豆が大豆になるようなもんだな
ふふふ
kyrie  2010/01/03(Sun) 22:51
>メルロ=ポンティの表現を借りるだけなら容易いけれど,
>それがこの論考とどう関係があるのかを明確にしないと,

メルロ=ポンティの「即自」の概念を音に応用したのだ。
同一性なき同一性、同一性が自己に対する関係だとするのなら、その関係すらない
同一性、という不可能性を言った。それだから、自己に対する関係としての同一性の
概念と、同一性を微分していったさきに残る自己の無限縮小との間の、
分析飽和性を定義した。言葉が足りなかったかもね。

>>ある持続音の、何を表現しているかの多義性(所属する和音を表現している、もしくは同時的に所属している旋律を表現している、など)における被表現の度合、
>>持続音の表現している所属性の度合を、一義に決定できる。

ここの論拠は省きましたw
まあ次回にご期待あれ。

>あいうぃる

なんだ、不可能だと言いたいのか!?
できるよ、俺、やってやるよ!
哲学の最も初歩的な定義は、あらゆるものに通低する一般性を明らかにすることだからね!
あいうぃるは進路決まったのかい?
この記事にコメントをお寄せください
ザの人」に登録すると、この記事にコメントを寄せることができます。
登録済みの方は、ログインフォームからログインを行い、コメントをお寄せください。

→新規登録はこちら
→ログインはこちら