「悟り」とは何かを哲学的に考察

2010/01/28(Thu) 22:34 Category: 哲学
人間がなしうる思考は、二通りある。
ひとつ:分析的思考
もうひとつ:綜合的分析思考、つまり分析された思考を綜合的に回復する思考
前者の究極は、即自である。即自は、外在を否定する一点、一点の直観に限りなく近づくという
悟りである。この境地に達すれば、純粋空間性、純粋時間性に身を置くこともできよう。

後者の究極は、この思惟を綜合的に分析することであり、外在の一片としてのコギトそのものに
なることである。コギトという直観に優れて一致すれば、同一性の直観そのものとなることが可能で、
同一性の直観は限りなく時空0に近づく。それこそが自己の客観化である。
完全な客観化は、自らを宇宙の一部だと認識するだけでは足らず、一部そのものになる悟りである、
とすれば、俺は悟りを上述のように哲学的に証明した。
悟りには、即自状態と客観状態の二種があるのだ。
お寄せいただいたコメント
華凜  2010/01/29(Fri) 13:58
(´・ω・)記事の内容はまったく理解してないけど...

悟り=究極のあきらめモード突入だと思ってた。
欲する心すべてあきらめれば逆にすべて許せるみたいなね。
kyrie  2010/02/08(Mon) 19:58
>華凛さん

遅くなってすみません!
倫理的には諦め=悟りもありですかね!諦念の境地とかいいますものね!
最近華凛さんがコメントしにくい記事ばかりですみません><
メタルの記事も書きたいです。
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