理想の最強バンド♪「khanate」

2010/02/16(Tue) 23:02 Category: HR/HM
khanate:skin coat

http://www.youtube.com/watch?v=eNGwLTPEhyA

最近、歳を感じたのか、重く暗い音楽を好むようになりました。
自然興味対象はドゥームメタル。sunn 0)))もいいけど、あそこまでメタルを否定したメタルでなく、
メタルを極めたメタルを聴きたい。そこで見つけたのが、KHANATE(カネイト)。
sunn 0)))のメンバーでもあるスティーブン・オマリーが参戦しているという…
もうね、これ、理想の音楽です。ノイズは血しぶきのように鉄の味がするし、Voの声は血管を裂くよう、
重低音は臓腑を抉るよう。
得られる音楽は、音による地獄絵図のごとき。
音楽を愛するあまり、音楽で殺されたい!
音楽でストレスを感じたい!
音楽で暗い気分になりたい!
という真性ドMの人にお薦め♪
ちなみに最近の勉強のBGMは、ドゥームメタルです。
やっぱり遅く重い音楽は集中力をかきたてますね。
デカルトのテーゼ(我思う、ゆえに我あり)が意味するのは、
「我「が」思「っている」ことの認識であり、その我が思っている当の志向対象が思われているが故に「存在」しており、

その存在が、「我」と一致している」ということなのである。つまり思われている志向対象は、
我が思っているがゆえに存在しており、「思っている我の存在」と直接イコールされるまでは、我とは別個に存在している。
つまり「我」は思われてもおらず、その存在に関しては
何一つ言うことができない。ゆえに「我」は無意味である。
思われた志向対象が、思われているがゆえに存在し、ゆえにそれを思っているものが反射的に存在する。
これが「被志向性」であり、しかも逆分析的でもある。
というのは、もし「我」の意味が「思っている」ことからいずれ帰納されるのならば、
まずもってアプリオリに確かなのは「思っている」ことであり、思うことは、何かを思うことだ、
とすれば、思い得るものの全体性を分析したのである。この分析性を限りなく0に近づければ、
「思う」ことは思う内容を欠く、つまり志向性をもたない「純粋思考」となることが期待される。
しかし、それは理念ごとであり、完全な抽象世界の空想にすぎない。なぜなら、「思うこと」とは、
パルメニデスの「あらぬことはあらぬ」テーゼに従うと、思わないことを導くために
思うことがまさに必要なのだ。そしてその時点で、何かを思わないことは、思うことを前提しているのである。
二項対立「思考」と「無思考」は、私が存在論的に「思考」的であるがゆえに対等に存在しているのではない。思考は、それが絶対あるが故に志向対象を借定し、その借定した対象の
延長性から言って、延長を組み上げていく営みでもある。
思考が絶対に分析的ならば、世界の総体が静的でも動的でも、世界は一義に決まらない(なぜ?)。
思考を中心として、志向対象が世界を、「世界の分析」的に存在させているのだとすれば、
志向対象を分析することで、それは思考という営みの分析にとどまり、思考以上の志向対象は
永遠に得られないはずだ、といっても、思考自体が何かの延長である限り、思考を分析することは
思考がそこで存在している世界を開示することと同義である。
少なくとも、思考が志向する先の世界があるはずであり、思考が志向される世界があるはずである。
この二つの世界が同義であるかどうかは、結局人間には分らないのか…?
ゆえにデカルトのテーゼは独我論にとどまるのか?

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V系卒業するとかいって、sadie、アンカフェ、メア買ってしまった…
いいじゃないか!たまには邦楽も聴きたいんだよ!
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